日本銀行総裁
黒田東彦 Haruhiko Kuroda

1944年福岡県生まれ。67年東京大学法学部卒業後、大蔵省(現財務省)に入省。71年イギリス・オックスフォード大学経済学修士号取得、75年から78年までIMF(国際通貨基金)に出向、96年大蔵省財政金融研究所長、97年同国際金融局長、98年同国際局長、99年財務官、2003年内閣官房参与、同年一橋大学大学院経済学研究科教授(兼務)。05年アジア開発銀行総裁、13年3月日本銀行総裁就任、同年4月同再任。

創作の秘密

黒田 宮部さんにぜひお聞きしたいと思っていたことがあります。
 宮部さんは、幅広くいろいろな小説をお書きになっており、時代背景ひとつをとっても、現代、戦前、江戸時代もある。主人公も、子供、青年、中年の人、老人もいますし、犬やお財布など、ありとあらゆる主人公がいて、いろいろな人間や社会の局面をスリリングに描いています。そうしたさまざまな小説を創作するに当たってのヒントを、どういうところから得られているのか、非常に関心があります。

宮部 黒田総裁が就任された際の報道で、時代小説やミステリーがお好きだという情報があり、私のまわりでも、総裁にどんな作品を読んでいただいているのだろうと話題になりました。
 私は、デビューして二九年で、来年で三〇年になりますが、一貫して単調な生活をしています。身軽なひとり身ですし、あまり旅行もしませんので、変化のない生活を送っています。ですから、経験重視主義では何も書けません。
 創作のヒントになるのは、本で読んだこと、ニュースで見たこと、日常の中で私自身がおもしろいなと思ったこと、逆に怖いなと思ったことやこういうふうになったら嫌だなと思うようなことが、何かしらのきっかけになっていると思います。

黒田 執筆時には、取材はされるのでしょうか。というのは、例えば『返事はいらない』というだいぶ前の短編集で、冒頭に出ているキャッシュカードの話を初めて読んだとき、すごいことを知っておられるなと思ったのです。

宮部 昔から私は、何かを書こうというときには、資料になりそうな本をまず、大きな書店に探しに行きます。例えば、セキュリティーであれば、セキュリティーというコーナーに行って探します。そういう参考資料で大体用が足ります。
 現場で働いていらっしゃる方にお会いしたほうがいいなという場合は、ありがたいことに、版元の担当の編集者さんにお願いすると、今はこの方に聞くのが一番ですとアドバイスしてもらえます。でも、そういうケースは私の場合は少ないです。
 法律的なこととか、これだけは押さえておかなければいけないというときは取材に行きます。去年、ネットパトロールというネット上の危険な情報をチェックするお仕事をなさっている方の話を書こうと思ったときは、その会社の運営者に会いに行きました。しかし、実際に書いたのは伺った話や現実とかけ離れていて、先方も驚いたと思います。

ミステリー作家のネタが豊富な時代は、本当は困る時代

黒田 ごく最近読んだ『ペテロの葬列』はすごく複雑な話ですよね。バブル期のいろいろな社会現象の話から、怪しげなものを売る話、そしてネズミ講みたいな話まであり、しかも、その背後にどういう人々がいたとかいうような話でした。このような広い意味の社会現象を扱う話になると、特定の専門家に聞いて間に合う話でもないと感じました。

宮部 『ペテロの葬列』は、豊田商事事件(注1)について管財人の方がまとめた大変すばらしい本を参考にしました。私は、豊田商事事件が起きたころ、新宿の法律事務所で働いていました。専門的なことはしていなかったのですが、何度か裁判所へ行きました。あの事件の主な舞台は関西でしたが、東京地裁にも、あの事件で被害に遭った方の窓口があり、いろいろな書類が置かれていて、それを大変興味深く見ていました。これは他人事じゃないし、自分だってこういうことにひっかかっちゃうことがあるかもしれないと思ったので、ずっと記憶に残っていたのです。
 当時、私は作家になろうという気持ちがあったわけではなく、純粋にこの事件には興味があったので、事件を取り扱っている本が出ると買って手元に置いて読んでいました。それが執筆の際に役に立ちました。

黒田 社会現象を背景にしたミステリーというと、学生時代に松本清張の作品を読みましたが、最近は縁遠くなっています。推理小説としてもおもしろい『点と線』もありますが、清張の社会派のミステリーは、占領軍、悪徳政治家、悪徳官僚といった巨悪による陰謀史観があって、そうした背景のもとで一般の人が事件に巻き込まれていく形が多く見られます。
 その点、宮部さんの作品は、クレジットカードの破綻とか、社会現象を扱っていますが、特定の巨悪が人を裏で操っているという感じの話ではありません。誰もがひっかかってしまうかもしれないし、自分も悪いほうに回ってしまうかもしれないという……。

宮部 自分もうっかりすると人をだましてしまうかもしれないみたいな……。

黒田 そうです。社会現象自体は、二〇年、三〇年でどんどん変わっています。その社会現象が変化して過去のものとなった後、それを取り扱う小説も古びてしまい、読めなくなるケースがあります。しかし、宮部さんの作品は、そうでないところがすばらしいと思っています。

宮部 私は昭和三十五年生まれで、高校一年生くらいから松本清張さんの作品を読み始めたんです。清張さんが推理小説を書き始めて、ジャーナリスティックな清張ミステリーを築き上げていかれた昭和三十年代は、一般庶民、市井の人はまだ力がありませんでした。マスコミもいろいろなものを暴き立てる力はなかった。戦時中はマスコミが大政翼賛の側になっていたという暗い過去を、近い距離で背負っていて、全てを立て直していかなきゃならない時代でもあり、闘うべき巨悪があったのだろうと思います。
 今はないですよね。悪というよりも、不具合というか、ここがこうなってくれないと困る人がたくさんいる、でも、そこを直しちゃうと、今度は反対側でものすごく困る人が出てくるとか、そういう時代ではないかと思います。
 そうした不具合を抱えていて、いろいろなものがきしんでいることを身近に感じます。それがミステリーの題材になるんです。私にとって、食品偽装とかスーパーのメロンパンに針が刺してあるのは他人事じゃないので、どんな人がなぜそんなことをするのだろうというのが素材になるのです。ミステリー作家の私にとってはネタを見つけやすいのです。本当は、そんな時代では困るのですが。

黒田 いろいろな人がいて、一方で底抜けの善人がいるし、他方でサイコパス(注2)みたいな感じの人もいるのでしょうが、大半の人は中間ですよね。それで、何かの拍子にちょっと悪いほうに寄ったような人がいるわけですよね。そういう面では非常に印象も深く、そして宮部さんの小説は、とても怖いですね。

宮部 怖がっていただけるなんて光栄です。私は、自分が好きで好きで物語を読んで、それから書き始めたという典型的なファンライターなんです。その中でも総裁もあげられている岡本綺堂(注3)を、私も尊敬しています。この方は戯曲を書く人でもあり、当代一流の教養人でした。もちろん作品も素晴らしく面白いですが、その点でも憧れの作家です。幅広い教養は、大切なものだと思います。

黒田 最近、大学改革という流れで、文系が圧迫されて理系が拡大されるという話をよく聞きます。しかし、実はアメリカでも、一般教養の必要性が最近また言われているんです。

宮部 見直されているんですね。

黒田 もちろんアメリカの大学は、どんどん専門家しているんです。もう学部ではだめで大学院が必須という感じです。  ただ、他方で、一九世紀的というか、二〇世紀前半のような一般教養、文科系の教養が重要ではないかということが言われています。私もそのとおりだと思います。

宮部 お忙しい総裁がこんなにミステリーを読んでくださっているんだということを広く若い方に知ってほしいですね。小説は、時間ばかりとられて無駄なものでは決してありません。小説を読まないと偉くなれないのですよ、ということを宣伝したいです(笑)。

黒田 最近は、ネットで情報が得られるため、紙の本が売れないという話も耳にします。

宮部 ただ、決して読まれていないわけではなく、読まれ方が変わった。流通の問題もあると思います。電子書籍でもいいのですが、丸々一冊読み通してもらわないと、かからない魔法というのがあると思います。その魔法自体は小さいものですが、それを子供のころから味わっていると、その魔法によって、使える魔法がどこかに出てくるんじゃないかと。大人になって、つらいときとか苦しいときとかうまくいかないときなんかに、子供のころから本を読んできた、その本から少しずつかけてもらっていた魔法が物を言うことがあるんだ、と特に若い読者の方とお話しする機会があると申し上げるようにしています。

情報テクノロジーの発達とグローバル化の落とし穴

黒田 話は変わりますが、日本銀行は金融システム全体の真ん中にいます。銀行券を出しており、銀行の銀行であり、政府の銀行でもあります。いろいろな企業の決済は、銀行間で決済が行われ、銀行間の決済は、最終的に日銀の中で決済されます。この決済は、日銀ネットという巨大なコンピューターシステムで処理されています。一日に一二〇兆とか一三〇兆円の取引が行われているのです。

宮部 あまりにも大金で、現実感がないくらいの額ですね。

黒田 最近、テクノロジーがすごい勢いで進歩しており、金融の世界では、情報技術の発展で、一瞬にしていろいろな取引を全世界と行えるなど、経済のグローバル化の先兵になっています。他方、悪いことをすると全世界に波及します。
 日本のメディアではそれほど報道されていないのですが、ニューヨーク連銀(注4)にあったバングラデシュの中央銀行の預金が、不正に海外送金された事件が起きました。詳細は明らかではないのですが、バングラデシュの中央銀行のお金を預かっているニューヨーク連銀にある口座から、八一〇〇万ドルのお金がフィリピンの銀行に送金されてしまい、さらにそこからさまざまな銀行口座に送金されて雲散霧消してしまったのです。ニューヨーク連銀は、不正な指示を受け付けない仕組みはありました。しかし、通常の世界的な通信ネットワークであるSWIFT(注5)を経由して、真正な形で指示されるという極めて巧妙な手口であったために起きたのです。

宮部 すごい事件ですね。

黒田 日本ではそういう事件は起こっていません。日銀ネットはものすごく頑健で、外部から入られたこともなかったうえに、最近、新日銀ネットという新しいシステムに更新してさらに安全になっています。しかし、考えてみると、技術進歩でさまざまなことがものすごく便利になっていることと並行し、ハッカーなどの悪いことをする人もまた同じように技術的能力を高めているので、非常に警戒しないといけません。
 ちなみに、モバイルバンキングは、日本よりもむしろ、例えばアフガニスタンとか太平洋の島々で発達しているんです。私は二〇〇五年から十三年まで、アジア開発銀行という国際機関の総裁をしていました。このアジア開発銀行はアジアの開発途上国を支援しており、アフガニスタンの携帯電話会社にも投融資をしたんです。それは非常にうまくいって、何百万人もの人が携帯電話を利用できるようになりました。さらに携帯電話を使ったモバイルバンキングが行われました。

宮部 あそこは内戦もあるので、銀行の支店を建てるというわけにいかないのですね。

黒田 その通りです。モバイルバンキングは、携帯のステーションだけあれば対応できます。太平洋の島々も、すべての島に銀行の支店をつくるのは無理ですが、携帯のアンテナは立てられます。
 こうした技術進歩は、すばらしいのですが、他方でそれが悪用されると、巨額の損失を一挙に、しかも一国内ではなく、インターネットでどこかの国から入ってきてやれるわけです。そういう意味では非常に怖い面もあります。

宮部 私は、モバイルバンキングはやっていません。今までネットでは何もやっていませんでしたが、今年になってタブレットを導入したら、確かに便利ですね。ネットだと古い本を探すのもすごく便利です。クレジットカードを登録しておけば、翌日には注文した物が運ばれてきます。でも、一体何人の人が介在してこれができるようにしてくれたのだろう、そもそも最初のシステムは誰がつくったんだろう、どこかで何か一つ間違いが起こると、きっとスムーズにいかないのだろうなと思うと、気が遠くなるような気がします。

黒田 私も機械のことはわかりません。ただ、手書きと比較してパソコンは、とても便利だと思います。

宮部 私のやり方は中途半端で、パソコンでつくったデータを、今でもフロッピーとかメモリースティックに入れて事務所に渡して、事務所からデータで出版社に送ってもらっています。そうすると二重にバックアップがとれますし、私のパソコンは完全に独立したままでいられます。パソコンに「おまえはワープロだよ」と言い聞かせて、ワープロソフトしか動かしていないので、クラッシュしたことがありません(笑)。ただ、一度だけ、飼っている猫が急病になり、取り乱して書きかけの原稿を消してしまったことがありました。

グローバル化を前提とした金融教育

宮部 二二年前にこちらにお招きいただきたいときは、小学校で金融教育をすればいいのにと申し上げました。あれは、ちょうどクレジット破産について書くために取材したころで、弁護士の宇都宮健児先生が、その当時からずっとそのことをおっしゃっていました。小学校の社会科で、せめて「経済」という項目で金利の仕組みとかを教えると随分違うんだけどと。

黒田 今、金融広報中央委員会という組織を通じて、日本銀行としても金融教育を一生懸命やっており、各都道府県の教育委員会、学校の先生方にこれが重要だということを認識していただいています。
 適切な教材とか、それから金融商品とか、そういうことを知っている金融に詳しい人に講師になってもらい、まず先生方に説明して次いで、先生が理解して小中学生に授業の中で話していく。それが進んでいまして、いいことだと思いますね。

宮部 私たち大人も学ぶ機会がないですから、投資信託と言われても、いまだによくわかりません。銀行の人が言うのだから大丈夫なんだろうと思っていました。だから、リーマンショックのときには、あれよあれよという感じでした。

黒田 ただ、日米あるいは西欧といった資本主義経済が長く続いているところは、まだ金融に親しんでいると思います。一方、ロシアや東欧等の長年社会主義体制であったところは、そもそも金融という概念がなかったわけです。

宮部 それこそ、金融の何たるかを大人も全く何も知らないところに、リーマンショックのような問題が発生してしまったわけですね。

黒田 だから、旧社会主義国では金融教育に熱心なんです。
 主要二〇ヵ国の財務大臣と中央銀行総裁の会議であるG20が、モスクワであったときに、財務大臣と中央銀行総裁のほかに、ロシアの文部大臣が出てきました。日本でいうと文部科学大臣ですね。いかに金融教育をロシアで一生懸命やっているかというのを説明していましたから、相当痛い目に遭ったのだと思います。

宮部 怖いことに、生活習慣、言葉、文化、風習、全部違うけれども、世界は、経済では全部結びついているんですよね。

AIにできない人間的営みとしての文学

宮部 日本は少子高齢化が進んで、介護とかさまざまなところで人手が必要なのに担う人がいないと言われています。日本は、手塚治虫さんという偉大な方のおかげでしょうが、先進国では珍しいくらい、ロボットに対して抵抗がない国なのだそうです。だから、これから少子高齢化で人口が減っていくのであれば、どんどんロボットがあふれる国になるんじゃないかと思うんです。私はSFが好きなので、それはそれでちょっと楽しみだなと思ったりしています。

黒田 おっしゃるとおりだと思いますし、そもそも産業用ロボットというのも圧倒的に日本に集積していたわけです。今でこそアメリカとヨーロッパも増えてきていますが、他方でAIとかロボットというのは人の労働を代替してしまうので、多くの労働者が失業するのではないかと懸念する議論が欧米では多くみられます。
 確かに、いろいろな労働を代替しますが、生産性が上がり、その分、GDPも増えますから、必ず誰かの所得になって購買力が出て、その購買力の中でまた新しいサービスや物への需要が出てきます。
 人間が、ロボットで代替できないどんな仕事ができるのか考えると、その多くは、人と人との何らかのふれあいが求められるサービス業だと思っています。

宮部 人の情緒に訴えかけるようなところは人の手でやらないといけないですね。

黒田 小説は、まさにそうです。

宮部 結局、小説を含めたさまざまな芸術作品は、受け取る人によって完成するものだと思います。小説も、作者が思っていない読み方をして感動してもらうことがあったり、私も何度もくり返し読んでいる本がありますが、それは何回読んでもおもしろいし、状況が変わると違う読み方をしたり、若いころ読んだものを今読むと、昔はこう思ったけれども今はこうだわとか、味わいが変わるんですね。そういうものをつくり出すのは、まだコンピューターには無理なんだろうなとは思います。

黒田 私もそう思います。ある条件をクリアすることを目指す類のものと異なり、小説は、プロット、ニュアンスさらには受け手を含めて組み合わせが無限大です。宮部さんの今後のご活躍も楽しみにしています。

宮部 ありがとうございます。お忙しいと思いますが、今後とも、ミステリーや時代小説の世界をどうぞごひいきにお願いいたします。

注1 / 豊田商事事件
豊田商事による組織的詐欺事件。金・地金を販売するが、顧客に現物を渡さない現物まがい商法を手口とした。高齢者を中心に数万人が被害に遭い、被害総額は二千億円近くと見積もられる。

注2 / サイコパス
反社会的人格の一種を意味する心理学用語。

注3 / 岡本綺堂(一八七二~一九三九)
新歌舞伎を代表する劇作家。『維新前後』や『修禅寺物語』によって知られる。そのスタイルから「綺堂物」といった言葉も生まれた。新聞の長編小説、探偵もの、怪奇スリラーもの等数多くを執筆。シャーロック・ホームズの影響を受けて執筆した岡引捕り物小説『半七捕物帳』は、シリーズ六九作品となる人気作。本誌二〇一六年夏号の「黒田総裁 特別寄稿(私の出会った文豪)」参照。

注4 / ニューヨーク連銀
アメリカの中央銀行である「連邦準備制度」を構成している連邦銀行のひとつ。

注5 / SWIFT
外国中銀を含む金融機関の金融取引に関する電文を受発信するための国際的なネットワークシステムを提供する組織。また、システム自体もSWIFTと呼ぶ。約二〇〇カ国の一万以上のユーザーを結んでいる。

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